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1.なんでも自分でやらなきゃいけなかったんです。それしか道がなかったし。

 

記者(以下、記): ミュージシャンになろうと思ったきっかけを教えていただけますか?

矢萩さん: 僕が小学生の頃、ちょうど兄の年代でベンチャーズが流行った時代でした。(僕の時代っていうと、タイガース、テンプターズといったグループサウンズが全盛の頃なんだけどね。)その頃高校生だった兄達が、勉強なんか全くしないで音楽に夢中になっていて、それを見た母親が嘆いているわけですよ。まだ小学生だった僕は、お兄ちゃん達がお母さんを悲しませているのに心を傷めて、「僕はああいう風に絶対にならないから。音楽なんか嫌いだ!」って、言ってたんです(笑)。 ところが中学生の時のあることがきっかけで、変化が訪れました。僕が中学3年になる時、卒業生を送り出す会があったんです。その時に卒業生の代表が何人か出てきて、会をやってくれたお礼に、スパイダースの『夕日が泣いている』という当時の大ヒット曲をフォークギターでジャンジャカ弾きながら歌ったんですよ。それを僕は客席で見ていて、すんごいショックを受けたんです。

人前で、ステージで、ギターを弾いて歌うっていうのは、TVの中の世界だとずっと思っていたから。自分の知っている先輩がそういう風にできるっていうことが、凄くショックなの。「あ、普通の人でもこういうことができるんだ」と思ったんですね。‥‥それから音楽に目覚めたちゃったんです。「じゃあ自分でもやってみよう」と。 僕はグループサウンズのコピーから始まったんです。まだ中学3年の時、住んでいたのは宮城県なんですけど、田舎だったせいもあって、楽譜もなかなか手に入らないし、友達で音楽やっている人もあんまりいないし、情報も入ってこない。だからあまり本格的にはやらなかったんです。高校に入ってから色んな仲間と出会えて、その中にはフォークをやっている人もいれば、ロックをやっている人もいましたね。そこからだんだん影響を受けて、本格的にやり始めたんです。でも、やはり田舎なので、楽器を持っている人自体がすごく少ないんです。だから、友達を求めて、他の学校の文化祭とかにギターを持っていくんですよ。すると教室で何かやってたりするでしょ。そこへ行って、「飛び入りでやらせてくれ」って頼むんですよ。たいていは受け入れてもらえて、そこで一緒にやりましたね。時には向こうの方が数段うまかったりして、コテンパンにやられたり、ガッカリして帰ってくる事もあるんですけど。時には息投合して、そこで知り合いがだんだんできていきましたね。

記: 最初からギター一筋だったのですか?

矢萩さん: そうですね。ただ、楽器をやっている人が少ないので、アマチュアバンドを続けている中で一番困ったのは、ベースをやる人がいなかったということですね。ギターはいっぱいいるんですけれどね。それでギターを他の人に譲って、僕がベースを弾いていた時期もあります。

記: ギターを習いに行ったりはしなかったんですか?

矢萩さん: そうですね。楽器店もほとんどなかったし‥‥宮城県の片田舎ですからね。仙台まで行かないと楽器屋がないんです。家から電車で、30分か40分くらいですかね。音楽雑誌も今ほどはないし、手に入るのはレコード盤だけですよ。レコード盤を買ってきたらそれをコピーするんです。

記: じゃあ全部耳コピで?!(※耳コピ‥‥自分の耳だけを頼りに曲をコピーすること)

矢萩さん: もちろん!もちろんです。レコードプレーヤーですから、傷だらけになるんですけどね。僕が自分でコピーして、譜面に書いて、渡して、練習していくっていうようにやるんです。バンドでやりたかったから、ドラムの楽譜もベースの楽譜も、言い出しっぺがやらなきゃいけないんで(笑)。なんでも自分でやらなきゃいけなかったんです。もうそれしか道がなかったし。今だったら譜面を買えばいいですけど、それが売ってなかったんで、しょうがないから自分で作る。そういう不便な時代だったんです。

 
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