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記: ギターの他に興味のあったことだとか、特に何かに目を向けていなかったんですか? 矢萩さん: 僕はね、音楽に出会う前には、科学者になりたかったんですよ。小学校の頃に夏休みの研究、アリの研究、キノコの研究とかあったよね(笑)。あと、恐竜が好きだったり日本のお城が好きだとか、それから鎧兜が好きでしたね。凝り性で、1度はまると、とことん調べ上げるんです。 記: "とことんやる"という精神が、ギターにも活かされていたんですね。
矢萩さん: そうですね。そうやって独学でずっとやっている中で、社会人のバンドの方に声をかけられたんです。東北放送というTV局で照明をやっている人で、アマチュアで音楽活動もやっている人でした。ある日演奏している時に「君、ウチのバンドに入らないか?」と声をかけられたんですよ。遊びに行って一緒に演奏したら、みんなに気に入ってもらったらしくて、一緒にやることになりました。それからはその人の家に行って、色んな事を教わりましたね。こういう音楽もあるよっていうことや、どうやってセッションをやるか(※セッション‥‥何人かで即興で演奏しながら音楽を作り上げていくやり方)など、色んな事を学んだんです。 それからだんだんプロに憧れるようになって、このまま仕事にしたいと思い始めたんです。父親にプロになるって言ったら大反対されましたけれどね。「芸能界はそんなに甘いところじゃない!」って(笑)。父親は僕を大学に入れて弁護士にさせかったらしくて(笑)。僕は、全然そんな気はなくてね。その頃は高校生で、髪が長くて、ロック少年だったし。 ウチの実家は呉服屋なんですが、一番上の兄が呉服屋さんの2代目になって後を継いでいたんですよ。そしたらその兄が僕のことをかばってくれたんです。長男はパイロットになりたかったんですけど、その夢を棄てて、実家の呉服屋の後を継いだんです。自分は悔しいんですね。夢を追い求められなかったから。「弟にはそういう思いをさせたくない」って言って、父親を説得してくれたの。おかげで父親の許可がおりて、プロを目指す事になったんですけど‥‥その代わり条件が1つだけ父親から出されたんです。「プロになるなら、音楽の学校に入りなさい。そこで勉強したら、なんとかなるだろうから」って。 その当時ポピュラー系の音楽学校と言うと、アメリカのボストンにあるバークリーという音楽大学が世界で唯一のJazzの音楽大学だったんです。日本ではYAMAHAのやっているネム音楽院がありました。日本でわかったのはそこだけだったので、じゃあそこに入ろうということになったんです。仙台のYAMAHAの楽器屋さんに行って聞いてみたら、「ネム音楽院に入るには、試験があるから。失礼だけど、あなた今のままじゃ入れないから、ここに通って特訓を受けなさい」って言われました。そして半年間くらいその仙台のYAMAHAに通って、特訓を受けたんです。当時、試験は色々あって、例えばピアノが弾けなきゃいけないので、それからピアノも習いに行きましたね。 記: 習い事をするのは、楽器屋さんで特訓することになって初めてですか? 矢萩さん: 習ったのはそれが初めてですね。ギターの実技は自由曲演奏、課題曲演奏、初見演奏。それと聴音っていう音の聞き取り(音をあてるやつですね)と音楽理論とソルフェージュかな。それを全部クリアしないと入れないんですよ。半年間必死になって勉強しましたね。そこには東京からプロのギタリストが、毎月教えにきていたんです。その先生に付いて、本格的なことを教えてもらいました。で、まあなんとか合格できて、入れたんですけど‥‥そこからですね。こういう道にちゃんと入れたのは。だから父親のアドバイスは正しかったんです。 当時、学校は2年制だったんです。(YAMAHAが独自にやっていた学校で、専門学校の資格はなかったのですが)そこで2年間勉強するはずだったんですね。ところが、1年ちょっとぐらい勉強した時に、学内が不安定になってきたんです。というのは、1年ぐらいですぐプロデビューしてしまう人が出てきたんですね。そうすると、みんな焦るでしょ?それで、バタバタと辞めていって、仕事に就き始める子たちが出てきたんですね。デビューしていった人というのは、たとえば、ちょっと古いけれどBOW WOWっていうロックグループのメンバーにいた山本恭司っていうギタリストが同級生でした。彼は世界じゃ有名なんですよ。 そんな時に、ある日、真鍋さんというベースの先生に「矢萩、お前、こんな学校にいてもプロにはなれないぞ」って言われたんですよ。いきなり(笑)。ガーンってショックを受けましたね。プロになる為にこの学校に入ったのに、「ここにいたらプロになれない」って言われて、どうしようかと思って・・・。「先生どうしたらいいんですか?」と聞いたら、「お前は俺のバンドに入れ」「はい!」って(笑)。すぐその日のうちに、院長の所に行って「辞めます」って辞めてきました。親にも言ってなかったんだけど、勝手に辞めちゃったんです。それで、それから1~2年くらい下積みの仕事をしました。ただ、僕の場合、ギターがうまくて、譜面もよめて、曲も作れて、演奏もうまくて、それでプロになったわけじゃないでしょ。まだ学校に入って1年ちょっとだから、アマチュアとそんなに変わらない状態だったんです。だから、なぜ僕を誘ってくれたのかは未だに分からないんですよ。とにかくそのおかげで、プロ活動を始めたんです。 最初の仕事は、ホテルの中にあるバーとかクラブとかキャバレーとか、そういう所で、1ヶ月なり住み込みでずーっと演奏するんです。毎晩歌手が変わるんですよ。マネージャーとクラブ歌手が楽譜の束を抱えてやってきて、「よろしくお願いします」って挨拶して、各楽器のところに、譜面の束を、ドサッ、ドサッと置いていくんです。「今日はこれですよ」って言って。それで、みんなが集まって打ち合わせだけはするんです。マネージャーが「この曲は、テンポはこれくらいで」って、それだけ。テンポと、曲と曲の間を繋ぐかどうかだけ。「この1曲目と2曲目は繋いで演奏して下さい」とか、「ここで、しゃべりを入れます」とかね。そういう説明はその場で、みんなの前でやるんですけどね、その後は本番ですよ。 記: 初めて見る楽譜なんですよね。初見ってことですか? 矢萩さん: 本当の初見ですね。 ところが、力があってプロになったわけではないから、そうポンッと置かれたって、弾けないし、読めないわけですよ。だから必死になって、譜面を一生懸命読むんです。でも全然追いつかなくて、本番になるとお構いなしにどんどん曲は進んでいきますから‥‥。弾けないわけですよ。 歌手が歌い終わって、「ギターソロ!!」って言ってるんだけど、ギターはもうパニックになってるっていう感じでした。「どこなの?どこなの?どこなの?‥‥これ!?」とか言って、でたらめ弾いていました(笑)。そういうことの連続ですね。時には全く弾けないときもあって、ただ立ってるだけ。すると、後でバンドリーダーに怒られるんですよ。もちろん歌手にも怒られて、マネージャーにも怒られます。ひどい時には、歌手がカンカンになって「私のステージを台無しにした!」って怒った時がありましたね。その時は、バンマス(*バンマス‥‥バンドマスター:バンドリーダーと同じ)につまむように連れてかれて(笑)、歌手の所に置かれて、土下座して、「すいませんでした。悪うございました」って謝りましたね。そうすると、「あなたプロでしょ?お金払ってんのよ!」「ごもっともです」ってペコペコと謝って・・・。 そんなことばっかり続くのも嫌だから、必死に練習するんですよ。終わった後とかも練習するし、最初に譜面をもらって、みんなは食事に行ったりしてるんですけど、食事も行かないで、練習です。その連続ですよ。 記: そんなに辛い仕事をしていて、途中スランプに陥ってしまったりはしなかったんですか? 矢萩さん: ホテルに泊り込みでやってるから、逃げる訳にも行かないし。帰るって言ったって、まだギャラも貰ってないから電車賃もないし帰れないですよ(笑)。責められながらもやるしかないんです。背水の陣ですね。 記: でも、実力はつきますよね。 矢萩さん: もう、必死でやりますからね。 |