▼担当学生記者
小西麻喜(21歳:取材時)
▼取材日
2001/6/1(金)
▼取材時間
15:00~16:00
▼取材地
五味さんの事務所にて
▼取材の雰囲気
僕のことは僕が組み立てるんだろうとぼんやりと思ってた
担当学生記者:
小西麻喜(21歳:取材時)
「表現者」なんだろうなあ、って思いました。1時間程度の取材だったのに、喋る喋る。すごい勢いで。「本当に表現したいやつは黙っちゃいられない」ってご自分でもおっしゃってましたけど、ほんとに口を挟む隙間が無い。圧倒、の一言でした。「大人問題」という本を読んでから取材に行ったので(読んだ人ならわかるでしょうけど)五味さんに会うのが怖かったんです。どうしよう、どうしよう、ってびくびくしながら会いに行きました。だけど思ったよりもずいぶんキャリナビに対して好意的で、助かりました。取材の中でも「大人問題」のような調子でいろいろ批判されていましたけど。私の中での「次点Only One Word」があります。「編集者と五分五分の交渉が出来ない限り作家じゃない」ってやつです。かっこいい言葉だな、自分の仕事や能力への自信からかな、と思いました。
ある程度距離をもって、一人の人間として相手をみることができたら、お互いもっと認め合うことができるのにね
同行学生記者:
浜屋公紀子(22歳:取材時)
とにかく、五味さんはよくしゃべる人。 間髪なく、私達が質問をするまでもなく1時間ずっとしゃべり続けていました。1時間でも、お腹いっぱい。おまけに早口なので、小西さんのテープお越しが大変そうです。そんな中、ずっと一貫して根底にあったものは、人間は、たとえ家族であろうと、たとえずーっと一緒にいる友達や恋人であろうと、同じ考えや、センスの人なんているわけがない、ということ。だから、たとえ自分の娘であろうと、本人が出したことに意見はいわない。そして、たとえ娘が自分のセンスでは理解できないことをしたとしても、それは”ああこの子とはうまくつきあっていけないな。”って思うだけ。娘だからといって、自分がたかだか彼女よりも数十年長く生きているだけで、偉そうに“教えてあげる”なんてちょっとおかしいんじゃないの?2歳や3歳の子供だって、ちゃんと自分の好きなことを選んだり、やったりしている。2歳や3歳の子供が、そんなことわかるわけないと思っている方がおかしいんじゃないの?だから、親がどうやって本を与えたらいいでしょう?とかどんな本を読んであげたら良いでしょう?っていうようなことは、まったくナンセンス。こんなことを、話しながら教育システムってどうすべきなのよっていうことへ・・・日本の教育システムは概念だけが先走りすぎちゃって、肝心な個人個人のやりたいことができる環境は、まったくと言って良いほど整っていない。なぜ、自分の中にあるものを自由に表現できるはずの音楽や美術を、学校でみんな一緒にやんなきゃいけないの?もっと楽しいことなのに、描くものが決められた絵っておもいろいか?もっとそれぞれに出しやすい音の高さがあるはずなのに、みんなと同じキーで歌わなきゃいけないことほど苦しいことってあるか?こんな当たり前のことにもっと早くに気が付くべきですよね。学校という決められた枠じゃなくて、自分自身の枠でみたりかんじたりするのが、ほんとですよね。こんなだから、いまさら学級崩壊だなんだって騒いでいても、そんなの崩壊して当然、ということです。別に、みんなと同じようにやらなくっても、得意なことをやりたいようにやればいいんだよ。とってもこのことばに強くうなずいていました。私もすごくそう思います。お寿司が嫌いな人に、半分に握るから食べてねって言って嫌いが好きになるわけじゃない。だから、日本の子供に算数嫌いが増えてきたからって、内容をいくら簡単にしても急にできるようになって好きになるわけじゃないですよね。これは、インドの小学校の先生が日本の算数教育をみて言ったことばですが、笑えるけど、なんかとっても説得力があるなと思いました。