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記: 秋沢さんは小さい頃、どのようなお子さんだったんでしょう? 秋沢さん: ごく普通の田舎の子どもでした。野山を駆け回ってよく怪我をしたり、人並みにいたずらをして近所のおじさんやおばさんに怒られていました。おてんばないたずらっ子って言うんでしょうか・・・。父母から「勉強しろ」とは言われませんでしたね。聞いていなかっただけかもしれませんが、記憶にないので・・・。とにかく自由にのびのびと育った、元気な自然児だったと思います。 記: では留学される時も、ご両親は特に何も仰らなかったのですか?
秋沢さん: それが当初、両親は大反対でした。お金もかかるし海外に一人で一年間ですから、考えてみれば分かる気がします。でも私は行きたい気持ちでいっぱいでしたから、「今まで勉強してきた英会話力を試してみたい」というような、生意気な主張をした記憶があります。あまりよくは覚えていないんですけどね(笑)。それでも母親は、最後まで大反対。一方、父親は「言い出したら聞かないし、仕方ないな」と諦め、最終的に「行ってもいいよ」と許可してくれました。それで高校2年生の時に、ニュージーランドに1年間留学をしました。 記: その留学で「生の情報に触れたい」という考えが出てきたんですね。 秋沢さん: はい。世の中には、知らない事がいっぱいあるぞ・・・と。自分の体験を通して学びました。またドイツ人の叔父(叔母が国際結婚をしています)の影響も大きかったです。彼は教育機関の人間(ドイツの某大学で「日本学」を教える教授)で、毎年必ず家族と一緒に来日して、資料集めをしていました。その時に我が家にもよく泊まりに来ていました。だから日本語がちゃんと通じない従兄弟にも興味津々。子供ながらに「世の中には知らないことが沢山ある、それは結構面白そうである」という感覚がありました。だからおそらく育った環境から、新しいことや知らないことへの興味というものが湧いたのだろうと、自分なりに分析しています。 記: それが学生時代にも、ずっと継続していらっしゃったということでしょうか? 秋沢さん: そういうことなんでしょうね。それだけ強烈なカルチャーショックを受けていたのだと思います。実際、アメリカ、東南アジア、ヨーロッパと少しずつ垣間見た未知の文化は、とても魅力的でしたから。また、留学していた高校2年生時のAFS(注1)の1年間も強烈な体験でした。若い時のこういった体験は、今でも覚えていますよ。私の原動力と言ってもいいかもしれません。 注1: AFS(=財団法人日本エイエフエス協会)・・・高校生の交換留学などを行う、米国に本部を持つ国際文化交流財団。より公正で平和な世界の実現に必要な知識、能力、理解力を多くの人々が身に付けるために、様々な異文化と接する機会の提供を目的とする、国際的なボランティア団体。エイエフエス日本協会は今年50周年を迎えた。 |