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3.野口英世 ~医者になりたかった夢+奥さんとの出会い

 

子どもの頃の将来の夢は「医者になること」だったと春兆さんは話してくださった。 幼い頃、障害を持っているという同じ立場で活躍した野口英世の本を読んで自分にも出来るかもしれないと勇気づけられたそうだ。火傷で片手を使えなくして悪童連中から"テンボ"とからかわれながらも、負けん気と努力で世界的な医者になり、かつての悪童連中から神様扱いされたという野口英世の小気味良さが春兆さんの憧れだった。大きな赤ん坊とはやされようが、何か一つ人並み、否、人にすぐれたものを持てば、いや応なく認めさせることが出来るじゃないか。そんな気持ちに燃えていた。  光明学校の"適性"の時間を選択する時も、まるきり迷うことなく文科を選んだというわけでもなかったそうだ。チラリとは理科への思いが走っていたらしい。新しい授業で植物や昆虫など知らない世界が開かれていく興味は抜群だったし、やはり、野口英世への憧れも消えていなかったようだ。  しかし、結局文字にするとなると文科しかないという気持ちと、これこそ…との期待と決意をこめて選択した文科での授業によって、俳句とより親しくなり、俳句の能力が開花されていったのである。

奥さんとの出会い

「透明の杖欲しかげろう中歩まむ」              という春兆さんの句に対して、 「かげろうに踏み入り透明の杖とならむ」

という句を作って春兆さんと奥さんは結ばれたそうだ。なんて素敵なプロポーズだろう…と、思わずうっとりしてしまう人も多いのではないだろうか。  取材中奥さんの話が出ると、春兆さんは照れながらも嬉しそうに奥さんの話をして下さった。馴れ初めはやはり、俳句を通じて知り合ったとのことだった。淡雪がみぞれに変わりつつあった午後のことだったそうだ。当時、(奥さんとなった)その人は俳句のよしみで見舞いにだけの気持ちで来て、それ以上の印象もなかったらしいのだが、春兆さんの方が、この人こそと決めてしまっていたそうだ。あきらめと期待のパーセントがみごとに逆転していったという。いつもの躊躇や傍観者的態度は捨て、俳句を交わすこと、電話だけが唯一の力だった。他人任せにして自分ではしゃべらないですむ、そんな状態は自然に破られて、言語障害も目立って軽くなるというほどだったらしい。結婚にいたるまでの曲折はあったそうだが、二人はめでたく結ばれ、結婚の二年後には長女出産、翌年には長男出産と幸せな家庭が築かれていった。  奥さんの一番の魅力は?との質問に「自分を障害者扱いしなかったこと」と、春兆さんは話してくださった。「今でも、やれば何でも出来るのにやらないんだから…という信念を持っているみたい。結婚した頃なんか、私の見ていない所では歩いているんでしょう、なんて言われてね。苦笑するより無かったよ。」と照れ隠しに話しながら笑っていたのが印象的だ。

校正を託せる妻のいて四温  奥さんの特技の一つが、原稿校正だったらしい。結婚後10数年間、現在のワープロになるまでは、ボールペンの手書きで苦闘されたらしいが、春兆さんは書きながら辞書をひくのが苦手で、字数だけあけて書き進める癖があるらしい。それを春兆さんが寝てから点検して埋めておいてくれるそうだ。見事なクイズ解きである。

 
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