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城西国際大学で春兆さんが、学生達に教えているのは「障害者と文化」というテーマである。 障害者がいかに文化を支えてきたかということを日本の文化史に登場した「障害者像」を例に挙げながら生徒達に伝えていく授業である。 教科書は、春兆さん著作の『日本の障害者~その文化的側面 中央法規』である。これまで日本の歴史に潜む障害者の活躍については、これまであまり重視されてこなかったが、実はあらゆる場面において日本の文化は障害者の才能によって支えられてきたのだと春兆さんは本を通じて書いている。 「障害者と文化」と聞いても、初めは何故それらが関わるのかピンと来ない人も多いかと思う。でも春兆さんの授業を受けると、なるほどとその関わりあいに深く興味を持つ人も多いのではないだろうか。
授業中、春兆さんはこう話していた。 「シェイクスピアの諸作品によって英語が成立定着したとするならば、古来のやまと言葉と漢語とをない交ぜにした現在の日本語を成立させたのは「平家物語」です。案外、この「平家物語」が日本語の文章の起源となっていることは知られていないので、この授業の最初に、障害者と文化が何故関わりがあるのかという疑問からこの授業(障害者と文化)を選んだと言っていた学生もいましたね。でも、この「平家物語」が現在の日本の文章をこしらえ上げていったということを考えると、いかにその琵琶法師−つまり、視覚障害者が、日本の文化をつくりあげてきたということが良くわかると思います。」 春兆さんの著書『日本の障害者』によると、「平家物語」は、盲目の琵琶の天才として知られている明石検校を始めとする、多くの琵琶法師が全国を回って日本中に広めたものであるそうだ。平安時代、盲人達たちは、男性は琵琶を、女性は鼓などを伴奏楽器として、語ったり唄ったりすることを生業としていた。盲目の芸能人達たちは、芸を研鑽して歌や語りを流布・伝承する組織を形成し、その下地に乗ることによって『平家物語』は成長していく。書かれた文字によるだけでなく、実際に語られて共感を呼び、全国的に広められていく。これだけのものが揃ったからこそ、国語として統一したものとして認められることになるのだ。言い換えると、現代の日本語の原形を確立していったのはこれら盲人の芸能組織を形作っていた人々だったということになるのだ。 ここまででもう、なるほど…と、関心を持たれた方も多いことであろう。 せかっくなので、春兆さんがお話になったもうひとつの話の紹介しよう。 俳句のもととなったのは、正岡子規だと言われているが、彼も病気にならなければそこまで、俳句に打ち込めただろか?…という話である。 正岡子規は、亡くなるまで9年間、病床に釘付けになり障害状態で日常生活を送らなければならなかったのだが、その時期に彼の膨大な文学活動のすべてがなされていたのである。 肺結核を患い、歩くことはもとより立つことも出来ず、外出もままならぬ生活。その生活が、日常生活のこととして長期間続いた。おそらく下肢に重度の障害を持つ者と同じ生活ではないだろうか。「不純なようだけど結局は子規に魅かれていったのはその部分だったかもしれない。」と春兆さんは言う。 春兆さんがこのように「障害者と文化」という視点で歴史を振り返ってみることにハマった理由は、「人間一人一人、その人だからこそ出来ることがある。ボクの場合はこれなのだ。」ということを感じたからだと話してくださった。 「自分だからこそ出来ることがある—それを、見つけられるかどうかが大切なんだよ。」 この言葉が今でも深く胸に刻まれている。 障害を持っている人も、そうでない人も、自分の将来に悩む人も…、「みんな自分だから出来ることがある」。 そう思える前向きな気持ち、見つけようとする姿勢をいつも忘れずに、みんな「自分だから出来ること」を早く見つけられるといいなぁ…と思った。 |